杉原千畝(1900年~1986年)は、岐阜県で生まれた日本の外交官です。
第二次世界大戦中の1940年、杉原千畝は迫害から逃れようとするユダヤ系避難民に2,000通を超えるビザを発給し、多くのユダヤ人を救いました。このビザは後に「命のビザ」と呼ばれます。

杉原千畝は少年期の約10年間を名古屋で過ごしていた!

杉原千畝は、父の仕事の都合で、小学校低学年のときに名古屋市古渡尋常小学校(現・名古屋市立平和小学校)に転入しました。
1912年、尋常小学校を卒業した千畝氏は、愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)に進学し、1917年に卒業しました。

ゆかりのスポットを歩いてみよう!4.5kmの「人道の道」

杉原千畝の当時の居住地付近から、出身校である愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を結ぶ全長約4.5kmを、2016年に「杉原千畝 人道の道」と名付けました。

名古屋市総務局総合調整課
山本さん

杉原千畝にゆかりのあるスポット6カ所に、エピソードが掲載されている銘板が設置されています。
今回は、人道の道にあるスポット5カ所について、ルートマップを実際に歩いてご紹介します!

人道の道ルートマップは名古屋市公式ウェブサイトに掲載しています。
ルートマップのダウンロード(名古屋市公式ウェブサイト)
平和小学校付近からスタート!

杉原千畝は小学校低学年の時期、父の転勤に伴って名古屋市へ移住し、名古屋市古渡尋常小学校(現・名古屋市立平和小学校)に通学していました。今回は、地下鉄 東別院駅から徒歩3分、平和小学校付近からスタートします。

平和小学校前に銘板を発見

平和小学校の西側には、木陰のある穏やかな風景が広がっています。

銘板では、千畝氏が名古屋で過ごした頃のエピソードが紹介されています。

山本さん

葉場公園から平和小学校を眺めながら、小学生の杉原千畝がこの周辺で暮らし、この道を歩いていたことを想像しながら進むのもおすすめです。

葉場公園にもあるプレイマウント(富士山すべり台)は
名古屋発祥の遊具と言われています
南へ進みます!

葉場公園を後にして大津通を南へ進んでいきます。
二つ目の銘板は、Niterra日本特殊陶業市民会館付近で見ることができます。

さらに大津通を進んでいくと、金山総合駅付近の歩道で不思議な形のモニュメントを発見!

山本さん

人道の道を歩くことで、名古屋のまちや歴史についても知ることができますね!

電車の車輪を使ったものだそうです。
沢上交差点で、旧名古屋市電沢上車庫銘板を発見!

沢上交差点の歩道でもモニュメントを発見しました。銘板には沢上の地名の由来が記されています。

名古屋市営交通になる前から市電が廃止される昭和49年までの60年間、このあたりに沢上車庫があったことからこの場所に設置されているようです。

山本さん

この地域は尾張鍛冶発祥の地としての歴史があり、この周辺で「金山鍔(つば)」と呼ばれる鉄製刀装具が作られていたそうです。

弥生時代の遺跡にも出会えます

人道の道のルート上にある高蔵公園に寄り道。ここには、弥生時代の大集落、古墳時代の古墳群として全国的に知られる、高蔵遺跡のいくつかの古墳の墳丘の一部が残されています。

高蔵遺跡は、高蔵公園を含む南北約800m、東西約500mの範囲に広がる大規模な遺跡。1907年に発見されました。

公園内の案内版で高蔵遺跡が紹介されています。
ルートを進みます
高蔵の交差点を曲がり、東に進み
高蔵こ線人道橋を渡ります
神宮東公園付近に

三つ目の銘板は、神宮東公園付近付近に設置されています。

杉原千畝がリトアニア共和国の日本領事館にいた第二次世界大戦の際には、このあたりに熱田兵器製造所(大日本帝国陸軍の工廠)がありました。
ここから愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)までの道は「五中街道」と呼ばれていたそうです。

銘板には、五中時代の杉原千畝や熱田兵器製造所の写真も掲載されています。

山本さん

神宮東公園は、菖蒲園やボール遊びができる球技広場、芝生エリア、健康器具が設置されているフィットネス広場、テニスコートなどがある、南北に広がる都市公園です。
11月中旬から12月上旬には水面に映るメタセコイアの美しい紅葉も楽しめますので、人道の道を歩く際にはぜひ立ち寄ってみてくださいね。

銘板の隣には名古屋市体育館があります
新堀川を通過して進みます!
雁道(がんみち)商店街に到着

四つ目の銘板を目指し、さらに東に進んでいくと、雁道商店街にたどり着きます。
大正時代から続いている歴史ある商店街で、懐かしい雰囲気を味わうことができます。

山本さん

雁道商店街を歩くと地域の歴史や文化が感じられます。この地域とともに育った杉原千畝がいた時代を想像して歩くと、さらに楽しくなりそうです。

そろそろルートも終盤、、、

四つ目の銘板は、瑞穂ケ丘中学校の前にあります。この場所には、杉原千畝が通っていた第五中学校がありました。
杉原千畝は1917年に第五中学校を卒業した後早稲田大学に入学しましたが、1919年に外務省留学試験に合格し、ロシア語を学ぶ留学生として、ロシア人が多く暮らす中国東北部ハルビンに向かいました。

銘板には、杉原千畝が写っている第五中学校時代の集合写真も掲載されています。

瑞穂ケ丘中学校には、第五中学校の遺構(車寄せ・石階段)と、杉原千畝の少年時代の銅像があります。

銅像は、杉原千畝生誕120年・「命のビザ」発給80年となる、
2020年に建てられました。
中学校の敷地の中ですが、
校門の外から眺めることができます。

山本さん

瑞穂ヶ丘中学校には、旧愛知県立第五中学校当時の車寄せと石階段が現存しており、集合写真も残っているそうです。

瑞陵高等学校でゴール

瑞陵高等学校 正門西側には、杉原千畝についてより深く知ることができる屋外展示施設「杉原千畝広場 センポ・スギハラ・メモリアル」があります。
陶板で再現したビザリストや杉原千畝の第五中学校時代の資料などを展示しています。

山本さん

杉原千畝の等身大像に出会えます

杉原千畝とユダヤ人家族の等身大ブロンズ像

杉原千畝の生涯や、命のビザ発給の背景などがパネルで詳しく紹介されています。

山本さん

センポ・スギハラ・メモリアルは、無料でいつでも自由にご覧いただけます。
パネルや銅像とともに杉原千畝をさらに深く知ることができるスポットです。

瑞陵高等学校でゴール!

最後、五つ目の銘板は、瑞陵高校正門東側、センポ・スギハラ・メモリアルの隣にあります。

山本さん

今回は平和小学校から瑞陵高等学校までのルートをご紹介しましたが、中川区内には杉原千畝が五中時代に下宿していた場所があり、その近くには銘板も設置されています。
各銘板を通してご覧いただくと杉原千畝の一生に触れていただくことができる内容となっています。
ルートを歩いていただくことで、 改めて人道主義・博愛精神、平和などについて考えていただくきっかけになると嬉しいです。

まち歩きにおすすめ!人道の道の推しポイント

  • 所要時間は1時間~1時間30分程度。ゆっくり歩きながら銘板や写真撮影を楽しめます。
  • 約4.5kmのウォーキングで、健康づくりにも最適!
  • スタート地点もゴール地点も地下鉄駅などに近いので、ルートの一部だけ歩いてみる、銘板を一か所だけ見に行ってみる、といった楽しみ方もできます。

山本さん

銘板だけでなく、名古屋の街や緑も見ながら、杉原千畝と名古屋について知ることができます。
秋には紅葉も楽しめそうですね!

人道の道ルートマップは名古屋市公式ウェブサイトでダウンロードできます!

ルートマップは、日本語版・英語版をご用意しています。
名古屋市公式ウェブサイト

山本さん

杉原千畝の、人を思う心や勇気を名古屋のまちの中で感じながら、初めて見る景色や、「名古屋にはこんな歴史もあったんだ!」といった新しい発見もあるかもしれません。
人道の道を楽しみながら、杉原千畝について知り、平和について考えてみませんか。